グラス一杯、なにかを

とりあえず書き置く癖からつけようぜ

20180811松永天馬「PLAY MATE」@六本木CLUB EDGE

遊ぶことは、「PLAY」

祈ることは、「PRAY」

音楽を演奏することも「PLAY」

 

アソボウヨ、と誘われて六本木。

8月の東京は、例年にない高温を記録し続ける夏空の容赦ない熱気をいっぱいに含んで、ずぶずぶになった湿気が満ち満ちていた。じっとりとした多湿な空気に、生臭く腐ったような臭いがなんとなく混じる。人間の臭いだ。高層ビルから雑居ビルまでが、見渡すあちこちに無節操に建ち並ぶその狭間に、ちゃちなエスニック屋台からすましたファッションビルまでが、憚りひとつなく客を呼びあう消費と消費の狭間に、夏の人間の臭いと夏の湿度がぎゅうぎゅうに充満している。鼻をつくこの臭いは、何かを求めて街へ出てきた人間の臭いー要するに、人の欲が饐えた臭い。

そんな夏の東京を汗ばみながら歩み行き、六本木CLUB EDGEへと向かう。

 

階段で、爽やかな若い男性スタッフが無料配布のドリンクを配っている。

その名は「TENGA NIGHT CHARGE」

 

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この春に松永天馬がTENGA公式サイトのインタビューを受けたこと。また、このライブが「PLAY MATE」というかの有名大衆男性誌を彷彿とさせる精力的なタイトルを冠されていること。さらにはこのライブの後、新宿ロフトプラスワンで「松永天馬脳病院」と称されたオールナイトイベントが待っていること。それらの事情を全て鼓舞してくれるドリンクである。

ただし、残念ながらぬるい。

 

そう、松永天馬のソロはとても男性的だ。彼の主たる活動拠点であるアーバンギャルドが、少女という万華鏡を通して社会を描きなおすバンドであることと比べると、松永天馬のソロは、一人の男としての松永天馬自身を最大の媒体にした活動である。

そんな男・松永天馬に呼ばれ、生ぬるいTENGAのドリンクを手のひらに収めて、夜の六本木に我々は何しをしに行くのだ。

 

プレイに、行くのだ。

 

恋をしに行く行為をしに行く?

否、プレイを。

 

「僕は、ポルノグラファー」

ライブは「ポルノグラファー」の演奏で幕を開けた。

これから性的存在としての一人の男が晒されていくという宣言のごとく。

 

そしてライブ前半に、新曲のライブタイトルであり新曲の「プレイメイト」も披露された。

「僕は プレイメイト プレイメイト」と繰り返すサビがキャッチーな一曲。

そういえば、「ポルノグラファー」も「プレイメイト」も、サビで「僕は」と己について紹介をする曲だ。

「僕は、ポルノグラファー」

「僕は、プレイメイト」。

そう自称する、自虐的に。

とはいえ自傷ではない、ならば自証か。

バンドメンバー「松永天馬と自殺者たち」の演奏に渦巻かれ、松永天馬は「僕」をためらいひとつなく露わにしていく。

男の独白は、ステージの上で言葉と音と姿を得てひとつの作品という形態に成る。

 

独白。己を語るということは存外難しい。

自分について発信する環境は、インターネットの普及により現在とても充実していると思われる。インターネットという際限なき発言の海に、SNSのアカウントというスマートフォンやパソコンのかたちをした船を得た現代人は、船からいくらでも「僕は」「私は」とつぶやいて彼ら彼女らを広い世界に泳がせることができるのだが、しかし、このつぶやきの航行の果ての着岸先は案外ない。

ただ漂流する僕や私が、時にぶつかり、時に炎上し、大概は見向きもされずに、流れる。

 

インターネットの海を離れてオフラインの陸に上がったところで、己にまつわる困難は当然待っている。陸の上で暮らすには、食い扶持のためだけの仕事だとか、肩書きだとか、経歴だとか、俗にキャラと呼ばれる他人から支持される自分像だとかを必然的に己に纏うことで、各人は居場所を得ることができる。

この仕事や肩書きや経歴やキャラといったものは単なる世渡りのための手段に過ぎず、纏っている手段のその奥に、何かほんものがあるのだ、自分の本質があるのだ、と人はつい信じたくなってしまう。それが、脱いだときに絶望してしまう事態が起きる。脱いだところで、語るべき自分や歌うべき自分なんて何にもないのだ、という絶望に気づく。自分という人間がなにものであるかを、自分で掴むことはとて難しい。

 

ああ、難しい。脱ぐに値する己を持つことは難しい。

そんな時代に、「松永天馬」という一人の「僕」を武器にステージに立つ男がいる。

「松永天馬」を歌うことでステージの向こう側の人間たちと向かい合う男がいる。

こんな時代にごめんね、と「LOVE HARASSMENT」の冒頭で彼は歌うように、己を表現することは、こんな時代にとって挑戦である。

こんな挑戦を観客席の向こうでまざまざと見せつけられることは、一種のプレイだろうか。

 

PLAYだろうか、PRAYだろうか。

私たち観客にとって。

 

 

私たち観客は、平成終年2018年8月11日、松永天馬の「プレイメイト」として六本木の地下に集った人間たちだ。松永天馬はプレイメイトたちを見ているのか見ていないのか、どこに視線を遣っているかは知る由も無いが、プレイメイトが集うフロアに向かって、半ば独白のように、半ば語りかけるかのように、唱えるかのようにこう言う。

 

遊ぶことは、「PLAY」

祈ることは、「PRAY」

音楽を演奏することも「PLAY」

 

ライブハウスの暗く狭い空間で、松永天馬は松永天馬を晒し、観客は晒された松永天馬にまみえる。

けれども、両者は決して交わることはない。

音楽、という摩訶不思議の複雑怪奇の空気の振動が異なる人間同士を惹きつけ合って、同じ場所でひと時を共にすることはできる。だが、どんなに惹きつけられたところで、その身と身が交わることもなければ、心と心が通いあうわけでもない。

ただ、別々の肉体と別々の精神が同じ空間と時間の中にぼつぼつと存在するだけだ。

ぼつぼつと存在する彼らや彼女たちは、愛を吐ける舌の持ち主でも、キスができる唇の持ち主でも、セックスができる肢体の持ち主であるかもしれない。

けれども、それが交わりの条件にはならないのだ。

じっととそばにいて、ぎゅっと感性を掌握してくることはあっても、究極的にはきっときっと交わらない関係。身体と歌だけの関係のように。

だから、きっとプレイメイトたちは祈るしかないのだ。

己の両の手を握りしめて合わせ、己の中で祈るしかない。

何を。

何だっていい。ステージのフロントを占める男の誕生日か、はたまたライブに赴くことで得られる日々の抑圧からの慰めか、もしくは、自意識や自己顕示欲が悉く疎まれる現生で己を保つことの可能性にか。

一人の男を見つめて、祈る。欲望だらけのこの街の地下で。

一緒にPLAYできるけれども、PRAYしかできない我々、プレイメイトは。

 

セットリストはこちら。

 

 ・私がずっとずっと聴きたかった「生転換」は3曲目だった。昨年の松永天馬ソロライブ「Pornographer」で初めて聴いて以来、一撃で好きになり、この日も生転換が聴けるなら、という思いでライブにきたのだが、音響の関係か歌詞が聴き取りにくかったのが少し惜しかった

 

・「天馬の数え歌」で、「天馬の数え歌」の最中、天馬がトイレに駆け込む事案が今年も発生した。アウトロの「妊娠しろよ」の下りで、「尿意を催しました!」と高らかに宣言し、アウトロのコーラスを観客に任せて、天馬は観客席を通ってトイレに駆け込む。うん、既視感があるぞ。去年のポルノグラファーもトイレ行ってた。

天馬がトイレの扉の内側にいる間、「妊娠しろよー」「妊娠しろよー」と律儀に歌い続ける観客たち。そこで高慶さんがアウトロのメロディに乗せて「トイレ長すぎ~」「早く放尿しろよ~」と煽るのも、男の付き合い臭くて楽しかった。

 

・天馬の詩の朗読は、「都市は優しい」のようにピアノをバックにやることが多いが、バンド編成で詩の朗読というのもなかなかに面白かった。

エレキギターは、ピアノと違って人の指弾による直接的な響きを鳴らしにくい。

指で弾いた弦のひと揺れが、ピックアップに拾われ、ケーブルを伝い、エフェクターの回路を潜り、と無数の加工プロセスを挟み、ピッキング以上の音になって出力され、人間の指の能力を超えた音として、高低も色も自在に揺らぎ踊り回る。そんなエレクトリックな音の上に、朗読という肉体からのダイレクトに出力される言葉を乗せる試みは面白かった。

 

ゴーストライターが非常によかった。黒霧島さん、と焼酎みたいな呼ばれ方をしていたジュリエッタ霧島さんのベースがとてもかっこいい。

 

私個人の事情をいうと、4月から仕事の関係で田舎に赴任し、なかなかライブに行けなくなった身であったので、久々のライブハウスの生音は興奮した。

何より、なかなかよその土地に出にくい交通不便の立地の街で仕事中心の生活を送っていると、目にする者耳にする者触れるもの者の考え方全てが仕事と生活中心になってしまいがちだ。そんな窮屈な暮らしからさぁ都市へ、さぁライブハウスへ。そこでやっと精神の自由を見た気がした。仕事にもならなければ生活にも必要ない場所で、己が己を歌う自由は何と尊いのか!と人間賛歌というか、自己愛や自己承認の讃歌を聴いているような心持ちだった。

 

という、或るプレイメイトの日記でした。

こんな薄気味悪いブログをインターネットにぶん投げた私ですが、アーバンギャルド同人誌で「ユーコ」名義でさらに気味の悪い文章を寄稿しておりますので、よろしければよろしくお願いいたします。

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