グラス一杯、なにかを

とりあえず書き置く癖からつけようぜ

松永天馬殺人事件 20190104 大阪

帰省先での滞在を一日早く切り上げて、伊丹空港へ降り立つ。一日早く実家を出た理由は、当然実家の面々には言えなかった。観たい映画があって、その関連のイベントがあるとだけ説明した。

梅田を歩いていて偶然職場の同期とすれ違う。横断歩道で手を振り行き違うだけで、当然これからの行き先など知らせる間も義務もない。ひたすらに阪急の駅舎へと向かう。かの事件は、十三で目撃できるのだという。

 

松永天馬殺人事件。

その日が初めての「松永天馬殺人事件」だった。

 

「松永天馬殺人事件」という映画のあらすじはこうだ。アーバンギャルドというバンドのフロントマンであり、バンド以外にも役者や小説執筆といった多彩な活動を行う男・松永天馬が殺される。殺された彼は、冨手麻妙演ずる探偵とともに、彼を殺した犯人を追う。

上映が決まった映画館のチラシ置き場の棚にちらほらと積まれ始めたモノクロのペーパーには、何を考えているのか分からない顔、重く意気消沈しているのかそれとも嘲って笑っているのか判別のつかない顔をしたスーツの男が一人突っ立っている。一部の物好きが観るような陰鬱な映画だな、と思いながら、自分自身もその一部の物好きの一人なのだと自認する。殺人事件の犯人探しでは犯行動機の解明が不可欠だが、誰も知りたがらないこの殺人事件の鑑賞動機について探されてもないのに勝手に述べるならば、ただの松永天馬ファンだから、それだけだ。

私はアーバンギャルドというバンドを愛好する日々を通して、バンドの作品やパフォーマンスを根幹の部分から作り上げる松永天馬と男の活動そのものに興味を持っている。天馬さんがソロ名義で映画を撮るなんて、一体どんな代物が出来上がるのだろう。冨手麻妙も出ているし、少し前に発売したCDに同梱されていた短編映画の続きや関連作なのだろうか。探偵らしい探偵ルックの美少女探偵が出てくる殺人事件だなんて、どんな推理や筋書きや動機やトリックが展開されてゆくのだろうか。

 

そして十三の雑居ビルにある小さなミニシアターの幕が上がり、松永天馬が殺される物語が上映されるだ。予告編で「誰が、死んだんだ?」と探偵に問いかける彼は、殺されたはずでありながら、スクリーンの上を縦横無尽に駆けたり踊ったりし、そして、問いかける。

 

ー誰が殺した?松永天馬。

 

上映後、この問いに対する答えをー犯人を確かめてシアターを後にできた観客は、果たして何人いるのだろうか。

 

だって、観た後に、さっぱりわからなくなってしまったのだ。

誰が殺したか?いいや、そもそも、誰が殺されたかが。

 

 

 

あまり具体的に言うとネタばらしになってしまい、映画泥棒に加担してしまうから、言えないが。言いたいことがあるとしたら、うん、大阪で見たし、関西弁で言うか。

なんやねんこの映画。

 

私は松永天馬のファン故に楽しめる箇所があちこちにあったので幸いだったが、しかしそうでない、「映画」を観にきた人間は、果たしてこの100分間の悪夢をどう受け止めることができたのだろうか。

 

なんやねんこの映画。