グラス一杯、なにかを

とりあえず書き置く癖からつけようぜ

20180114 松永天馬 「PORNOGRARHER」

「PORNOGRAPHER」2018.01.14 六本木edge

 

アーバンギャルドにおける松永天馬は、少女を描きながらもけして少女を代弁しているわけではない、少女を写実しようとしているわけではない。少女というモチーフを通してもっと向こうにある今をー現代(いま)を、今(なう)を、いま(生きていることを)描こうとしている。

そんなアーバンギャルドの彼と比べると、彼のソロは、より男らしく、より独りよがりだ。安普請の暗い部屋で、アンモニアの匂いを昼も夜も拭いきれないアルコールの染み付いた路地で、精巣に身勝手に溜まっていく白濁液のごとく、悶々と悶々と産生されていく独り言。こちらの鼻にはけして栗の花の臭いなど感じさせないのに、きっとそうなのだろうな、と思わせる暗さ。

この間の夏に松永天馬「松永天馬」を聞いた私はそう言えばこんな風におののいていた。

愛されなかったことへの恨み言、届く宛のないラブレター、噛み合わなかった現実との間に生じた亀裂、そんなものたちの裏で、愛と金・需給関係と承認欲求が腐った都会の饐えた臭いの影で、煮詰められた結果、とうとうある男の独白は一枚の円盤になってしまった、作品になってしまった。(Twitterに投稿)

 

そう、ソロ作品で彼は男・松永天馬を露出している。愛を伝えることがハラスメントになってしまう時代に、ハラスメントをさせてくれと訴える。公衆の面前で、選挙演説という手段でありながら彼の白い独白を混ぜてくる。

そんな松永天馬が待望の2度目のワンマンライブを行うという。

タイトルは「PORNOGRAPHER」

 

この男、もっと、出すのか。もっと、露出するのか。

もっと、見せてくれるのか。もっと、見られてくれるのか。

1度目のワンマンに行けなかった悔しさの挽回もしないといけないから、私は東京遠征を決行した。

「僕は ポルノグラファー」

六本木の地下で松永天馬はそう繰り返した。

そんな風に歌われて困るのはむしろこちらだ。

ポルノグラフィはポルノグラフィの被写体となっている方だって当然恥ずかしいのだろうが、一番恥ずかしいのはそれを喜んで見ている方だ。恥ずかしさややましさ、そして恥とやましさを超えて手を伸ばしたがる欲求が、人をポルノグラフィに昂らせる。

まんまと私たちは自称・ポルノグラファーたる松永天馬の提示するポルノに聞き入る。とはいえさて、ポルノグラファーの彼が肌蹴て見せたものはなんであろう。彼は服を着たままで、歌い、詠っている。確かに物販にはコンドームが仕込まれた薄汚い無精髭の男のキーホルダーが売られていたが、開封しない限りそれはただのキーホルダーだ。さあ、ポルノグラファーは、何を出している?

「君の一番汚いところを 綺麗にしてあげる」

私たちば松永天馬が露出する松永天馬によって、私たち自身の汚いところを暴かれているのだ。さらけ出された男の自意識に、独白によって、ライブハウスのひと時を満悦している私たちはとても汚い。あられもない自意識を潔癖にみっともないと忌避できるほど私たちは潔白に生きていない。服を着ていたって、肌が触れなくたって、言葉が彼を脱がし、また私たちを脱がしているのだ。

ライブハウスの地下で出されたアルパカ印のウマ安ワイン一杯で、夜にこっくりと浸される心地よさを味わい得たのは、私が汚く恥ずかしいからに他ならない。

 

それにしても、あの夜の松永天馬は男だったと思う。彼の性別は常々疑いようがないのだが、ソロ・松永天馬の時の彼は、ディスコミニュケーションの度合いが男だ。

彼が歌い詠い綴る言葉は、確かに心を打つものの、言葉によって何かを交わし合う可能性を感じない。彼が言葉を吐き出すたび、彼が決して交わり得ない別の生き物だということを痛感するだけなのだ。男は身体を持たない、詩人は幽霊だと彼は時に歌うが、まさに男の言葉はこちらの精神を撫ぜていくことはあっても、血肉になることはない。

ソロ・松永天馬はそれでも「君」に、ラブハラスメントをしてみたり、七日間恋愛をしてみたり、コミニュケーションを試みている。しかし、それは届いているかと言われれば、そんな気がツユもしないのである。新曲で「私はやっと生きられる」という誰かに対して「全部僕のせいだ」なんて言ってもみても、僕と私が解けあっている予感がなぜかしない。

吐いても、出しても、晒しても、さらけても、だれかの心に着陸こそしていれど、完全に交わり合うことはない男の言葉。キスができても、挿入ができても、それでも異なる二つの命は一つになれない。

「俺の言葉で妊娠しろよ だけど だけど出産するな」(天馬のかぞえうた)

「身体と歌だけの関係」でいやがれ。

 

終盤の「カルアミルク」のカバーで、ついつい六本木でカルアミルクなんて飲んで帰りたくなったけれど、日曜日の六本木で開いているバーを見つけられず、それでもお酒を飲まずにはいられなくって、なぜか恵比寿でアブサンを飲んで帰った。きっと関西に戻ったらカルアミルクが飲みたくなることなんて絶対ないわと思いながら酔った。ポルノグラフィなんてシラフじゃ直視できないわ。自分の汚いところを直視できないのとおんなじに。