グラス一杯、なにかを

とりあえず書き置く癖からつけようぜ

短期育成型の時代

「最近の若手は頼りない」という嘆息交じりのやりとりが飛び交う一方で、

「最近の若手は若手でいられる期間が短いし、若手のうちに経験できるポストもないままに責任のある仕事につかないといけなくなって、大変だ」と慮ってくれる声もまた混じり合い、私たちの職場はなんだかんだで回っている。

 

新卒をきっちり採って、しっかり育てて、定年までゆったり勤め上げるといううちの組織で、ある程度の社会人経験を経た上で、新卒枠で採用で入った私は少々珍しいタイプの人間にあたる。

第2新卒という言葉が近いのだろうか。大学卒業後に正社員で勤めていた会社を3年で辞め、2年程、短期の派遣や契約の仕事を転々とした後、今の職場に入った。

今の職場で、新卒と同じ若手で入ったものの、若手としてどのように仕事をしていけばいいかに戸惑うことも多かったのは、若手の育成方針が、私が経験してきた仕事の中で、今までにないタイプの職場だったからなのだ、ということに4年目にしてようやく気づいた。仕事において若手に求められるものが、今までに経験したことのないスタイルの場所だったのだ。

そしてこのスタイルの違いは、今の職場内における「若手が経験値不足で頼りない」問題にも関係していると思う。

 

●俺たちの「若い頃」と、俺たちの「今の部下」の違い

まずは今の職場内の状況について考えてみる。簡単に前提を説明すると、うちの職場は、役職なしで様々な部署の仕事を経験したのち、だいたい30代に入るころに主任・係長クラスに昇任する。年功序列制がきっちりしており、昇任試験はない。病気や妊娠出産による長期休職などの余程の事情がない限り、昇任できる。

上記のルートで職務経験を積んでいく我々だが、昔と今、上司たちの「若い頃」と、上司たちの「今の部下」とにある主な違いは下記のような点だ。

 

<俺たちの「若い頃」:昔の若手>※諸先輩方の聴取による

①高卒採用で、役職なしの期間が10年近くある。

②各地方の現場の仕事を行う地方事務所配属になることもあれば、統括的な仕事を行う本社配属になる機会も多く、現場・本社双方の経験ができる。

③業務量に対して人が多く、一人当たりの仕事量が少ない。

 

<俺たちの「今の部下>:私たち現代の若手>

①大卒採用で、役職なしの期間が6〜7年程度。

②人員削減で役職なしの若手が配置されるポスト自体が少なく、役職なしの若手は本社配属しかない。昇任して初めて現場を経験する。

③業務量は増えたが人は減っている。

 

さて、①の高卒・大卒の違いだが、これは役職なしで修行を積める期間の違いのみならず、組織と個人の定着性の濃度の違いも生んでいると私は思う。高校を卒業して即

就職した人間は、職場と一緒に大人になっていく。大学生だって、社会人デビューが卒業直後という点では同じだと思うが、諸先輩がたと大卒採用の私たちが違うのは、18歳からの4〜5年間を、仕事中心で過ごしてきたか、学生時代という個人中心で過ごしてきたかの差なのだ。前者の方が、ものの考え方や生活と仕事とのフィット度がより高いし、職場の人たちと過ごしてきた期間も違うから、コミュニケーションの深さにも差が出る。業務経験を超えた「うちのやりかた」「うちの空気」への習熟度が高いのだ。

 

ちなみに大学卒業後、正規・非正規、長期・短期と様々な職を渡り歩いた後に入った私は、この「うちのやりかた」「うちの空気」に馴染むことに非常に時間がかかった。他所でやれたから、どこでもやれるわけではない。まっさらな紙に新しい色を塗るより、落書きだらけの紙に新しい色を塗る方が、落書きとのバランスが難しくて難儀する、ということもあるのだ。

 

②の配属ポストが少ない問題は、若いうちの経験値稼ぎの場所が限られているという問題だ。あらゆるポストを満遍なく経験し、様々な部署での業務内容な知識を総合的に使いながら仕事ができる人間になれるのが理想だろう。しかし、昔と現代で役職なし若手しての育成期間がほぼ半減し、かつ少ないポストを最低限の人数で回している状態だと、皆が皆、満遍なく色々なポストを経験できるとは限らない。するとどうしても十分な業務能力を培い切れないまま、昇任がかかってしまう人間も出てくる。

現場を経験しないまま、昇任後に現場配属になることは諸先輩がたが気の毒がっている状況からも、経験値不足の懸念がよくわかる。

 

そして③の一人当たりの業務量の多さだが、業務量が多い、特に業務のための作業量が多いと仕事だと、必然的に業務のうちの責任ある部分や判断を必要とする部分は上司、単純作業の部分は役職なしの部下、という分担になってくる。業務量が多いと処理速度もそれだけ上げねばならず、一つ一つの作業の意味について深く掘り下げる時間もない。

すると、今昔同じ席の仕事でも、仕事自体への理解度も高まらないし、責任感や主体性の感覚も鈍くなる。役職なしは、サブ的な仕事をやってくれていればそれでいい、と。

 

たまに私も「こんな作業ってわざわざ正規がすることなのかしら、やり方を工夫すれば派遣さんにお願いしてもいいんじゃ…」と思う作業が多々あった。なぜこれを正規の人間がするのか?理由を考えて私ははたと気づく。

「育てる余裕のある組織だからできるんだわ」

小さな作業を積み重ねて、業務に対する理解度を高めていけばよい。ゆっくり実直に育っていけばいい。そんな組織なら、サブ的なポジションで、小さな日々の業務を積み重ねることで、次第に業務全体の連関や仕組みが見えてくるようになるし、自分がやっていることの中身についてもっと深く知ろうという余裕も出てくる。

ただ、業務量が多く、かつ育成期間が短くなっているいまの若手に、そんな暇はあるのだろうか。暇がないことの歪みが「いまの若手は頼りない」という嘆きとして出ているのではないだろうか。

 

昨日どこかのシマから聞こえてきたのは、役職なしから現場の係長に承認したばかりの先輩に対する憂いだった。ひとつの係の仕事を任された、一人前の人間として責任感を自覚し、努力してほしいと。

しかしこの状況を生んでいるのは、業務の理解度も高まり切らず、育成期間が短く配属ポストも限られているゆえに経験値も昔ほど積めていない若手たちの過ごす数年間だ。それなのに、いざ昇進したら突然、一人前の仕事を要求される。役職なしのサブポジの若手と、役職付きの係の責任を持つ若手との間にある階段が急すぎるのだ。この急な階段を、叩かれながら決死で登るんだぞとハッパをかけられているのが、いまの私たちだ。

 

つまり、短期育成が必要な状況に、長期育成型向けの人事制度がそぐわないのだ。だが、それでもなんとかやっていかなければならない。

なんとかみんなやっているのだ。でも、このままずっとみんな、なんとかやれ続けるのだろうか。長期育成型育ちの上の方々は、どんどんいなくなる。不景気と世相による人員削減で、若い世代は上の世代に比べて人数も極端に少ない。

だが、人事制度を変えるのは難しい。私のような人間にできるのは、己の能力不足を自覚して謙虚に前向きに頑張ることや、後輩たちに自分たちがこの育成スタイルで困ったことを省みて、何を教えてあげれば少しでも助けになれるかを考えていくことぐらいだろうな。

 

<そもそも、こんなことを土曜の昼間にふらりと考えた理由>

一人前になるまでの道のりが、長距離から短距離になっている状況を、ここまで自分なりに考えてみた。一人前への道のり、それは私がいまの職場にきて4年間、戸惑ってきたものだったのだと、やっとの事で気づいた。私がこれまで経験してきた仕事との「一人前」の定義がいまの職場は違った。

今までの仕事は、役職関係なく早く一人前に!早く戦力に!という仕事だった。一人が一日でやることの責任も重かった。派遣や契約で補助的な仕事についていた頃も、補助的な仕事というよりはほぼ正規の方の代替の仕事をさせていただいたり、期間限定の新規チームで手探り状態で各々が主体的にやらないと回らないという状態だったりもした。

だから、いまの職場のこんなに悠長に育成期間をとってもらえる状況が私には馴染みがなかった。それゆえに、仕事の目標が見えづらくて困った。日々淡々とやるべきことをやっていれば若いんだからそれでいい、一人前はまだまだ先なんだから…そんな古き良き長期育成型時代のスタンスの人たちに囲まれて、モチベーションを維持することに難儀してしまった。

とはいえ、長期育成型の時代の人たちだって、いまの若手の育成期間が短くなっていることを考慮に入れていないわけではない。若手の頼りなさをただ個人の能力不足に背負わせすぎず、当面の目標は仕事の遂行なのだから、とりあえず遂行できるようにみんなで協力してやっていこうや、それが組織なのだからと、という割り切りとゆとりがあるのだ。これは、人を一つの組織でじっくり育ててきた風土もあるし、組織が組織としてきちんと骨組みを保っている証だ。最初に勤めたところはこの骨組みがグッダグダで、上司が上司として機能してない、派閥争いや個人攻撃が蔓延、といったところだったので、非常にありがたいところだ。

 

そして私も、役職なし期間たったの4年(社会人経験があることも関係。異業種だが)で、もうすぐ昇任する。ハードモードの階段が待っていることは不安しかないが、逆に、昔みたいな「早く戦力に!一人前に!」という状態に戻ると考えるなら、あの頃よりはうまくやれるんじゃないかな、あの頃うまくできなかった自分のリベンジの機会だなと思えば、前向きにもなれる。自分のいまの組織での経験値が4年しかないことは変えられないから、自分の受け取め方を変えるしかない。

どんな組織にも一長一短はあって、一概に善し悪しは言えない。一長一短の中で、なるべく善くあろうとするのがひとまずだ。