グラス一杯、なにかを

とりあえず書き置く癖からつけようぜ

文系学部から社会、学問と社会とのブリッジ

転勤がほぼ決まり、荷造りに向けて本棚の本を整理する。学生時代にゼミのテキストや資料として使っていた筑摩の文庫や岩波の文庫にはシャープペンシルで書き込んだアンダーラインや付箋がチラチラと覗いている。大学を卒業してもう8年ほどになる。職を転々としながらも大学を卒業して働き続けて8年、私に学士号を与えた4年間の学生生活は、果たしてどれだけ社会に出るために役に立ったのだろう。

 

と思うのは文系学部、とりわけ文学部などは「就職に役に立たない勉強」と思われがちで、経済学や経営学や法学といった分野とは異なり、特定の仕事やビジネスに活かせるような専門性を持たない文系学部を私は卒業したからだ。

 

本のページの合間に貼り付いたままの付箋に改めて目を通してみる。テキストの内容を自分なりに整理していた。私たちのゼミは、課題のテキストを読んだ後、各自が内容をレジュメにまとめ、そこから内容について討議したり、講義を受けたりするというスタイルのものだった。資料を読み、期日までに自分なりにわかりやすくまとめた資料を作成し、さらに読んだ内容について何が問題か、自分はどう思うかを考える。そういった、自分の頭で考えるトレーニングはきちんとさせてもらっていた、と思う。

そしてこのトレーニングが仕事に役に立たないことはないだろう、とも思う。ずっと捨てられずにいた付箋と書き込み付きの本たちは、今の仕事にもそういえば、と思い当たることに気づかせてくれる。

案件に対し、様々の根拠となる資料を探してまず読む。資料に沿って、仕事の方向性ややっていいこと、悪いことの判断をつけていく。問題が起きれば、過去の例や規則やといった様々なテキストや事例を読んだ上で、問題解決のためにどう解釈して、どう組織の解を導き出すかを考えて行く。これって、ゼミでやっていたことの延長なのだ、と私は思う。与えられる情報や課題や意見に対し、漫然としているのではなく、こうかしら、ああかしら、じゃあどうすればいいのかな…と考えるトレーニングの延長は、社会での仕事にきちんとたどり着いた。

 

特定の仕事やビジネスに活かせる専門性を持たない文系学部は、学ぶ知識そのものは直接的に実用性がないと思われるが、学ぶ過程にはきちんと社会に出る時に困らない経験がセットされていた。

そもそも、学問に経済性や実利性だけで無益か有益かの判断をつけていては、学問そのものが成り立たなくなるだろう。人間には知的好奇心があり、知的好奇心を広げるフィールドが無限にある、その可能性を担保してくれるのが学問と学問の領域の広さである。知的好奇心のフィールドの限界を、ただ実用的で経済的な分野に限定された状況は、そこに生きる人間の、人間としての広がりを限定することにもなってしまうような気がする。

 

ただ、「役に立たない勉強/立つ勉強」という物の見方が圧倒的に優位なのは、大学の勉強と、働く社会との間との橋がうまくかかっていないからではないのだろうか。お互いがお互いの価値に気づき合えないまま、すれ違い続けているのではないか。

 

大学は、専門学校とは違い、学んだ知識を仕事に直結させることを直接の目的とはしていない。しかし不景気でお金にも人員にも余裕のなくなった組織が増えると、就職市場は、「大卒なんて役に立たないからいらない、即戦力をくれ」「大卒でもとりわすぐに戦力になりそうな学生を、育てる余裕なんてない」という意見がはびこる。ちなみにこれはリーマンショックの頃に就職活動をしていた私の体感した空気、高卒で就職した身内の声、また最初の就職先で「新卒なんて要らなかったのに」と目の前で言われまくった経験といったあくまでも主観的な景色であるが。しかし、そうやって余裕がなくなっていく世の中では、役に立つか否か、正確には「すぐに」役に立つか否かをまず問うてしまうのは無理もないのだろう。

 

とはいえ、大学と社会との間にある隔たりに簡単に橋はかからない。誰かがかけてくれる訳じゃない。だから、自分で隔たりの向こうの岸を見に行かなくちゃいけないんだ、と思う。とても難しい時代だな、と思うのは、私がかつてその隔たりの向こうを見ることができず、隔たりを理解するのに8年かかってしまったダメウーマンだからなのだろうか。難しくない人には難しくないことなのだろう。

 

ただ、一つ言えるのは、私は誰がなんと言おうとも、自分の学生時代をとても大事に大事に思っている。社会になじむには時間がかかったが、それでも大学に行ってよかったなと思う。人生にこんなに大事にしたいと思える瞬間を作ってくれた環境、勉強、そして友人たちがいることはとても幸福だ。

自分の過ごした場所が、世間的に評価されにくいことへの落胆と、世間的に評価されなくても自分が価値があると信じたい悔しさとを抱えながら生きてきた。ダンボールに詰めようとしてふと開いた本たちが、後者を肯定してくれて、今日は少し救われたような気分になる日だった。

20180114 松永天馬 「PORNOGRARHER」

「PORNOGRAPHER」2018.01.14 六本木edge

 

アーバンギャルドにおける松永天馬は、少女を描きながらもけして少女を代弁しているわけではない、少女を写実しようとしているわけではない。少女というモチーフを通してもっと向こうにある今をー現代(いま)を、今(なう)を、いま(生きていることを)描こうとしている。

そんなアーバンギャルドの彼と比べると、彼のソロは、より男らしく、より独りよがりだ。安普請の暗い部屋で、アンモニアの匂いを昼も夜も拭いきれないアルコールの染み付いた路地で、精巣に身勝手に溜まっていく白濁液のごとく、悶々と悶々と産生されていく独り言。こちらの鼻にはけして栗の花の臭いなど感じさせないのに、きっとそうなのだろうな、と思わせる暗さ。

この間の夏に松永天馬「松永天馬」を聞いた私はそう言えばこんな風におののいていた。

愛されなかったことへの恨み言、届く宛のないラブレター、噛み合わなかった現実との間に生じた亀裂、そんなものたちの裏で、愛と金・需給関係と承認欲求が腐った都会の饐えた臭いの影で、煮詰められた結果、とうとうある男の独白は一枚の円盤になってしまった、作品になってしまった。(Twitterに投稿)

 

そう、ソロ作品で彼は男・松永天馬を露出している。愛を伝えることがハラスメントになってしまう時代に、ハラスメントをさせてくれと訴える。公衆の面前で、選挙演説という手段でありながら彼の白い独白を混ぜてくる。

そんな松永天馬が待望の2度目のワンマンライブを行うという。

タイトルは「PORNOGRAPHER」

 

この男、もっと、出すのか。もっと、露出するのか。

もっと、見せてくれるのか。もっと、見られてくれるのか。

1度目のワンマンに行けなかった悔しさの挽回もしないといけないから、私は東京遠征を決行した。

「僕は ポルノグラファー」

六本木の地下で松永天馬はそう繰り返した。

そんな風に歌われて困るのはむしろこちらだ。

ポルノグラフィはポルノグラフィの被写体となっている方だって当然恥ずかしいのだろうが、一番恥ずかしいのはそれを喜んで見ている方だ。恥ずかしさややましさ、そして恥とやましさを超えて手を伸ばしたがる欲求が、人をポルノグラフィに昂らせる。

まんまと私たちは自称・ポルノグラファーたる松永天馬の提示するポルノに聞き入る。とはいえさて、ポルノグラファーの彼が肌蹴て見せたものはなんであろう。彼は服を着たままで、歌い、詠っている。確かに物販にはコンドームが仕込まれた薄汚い無精髭の男のキーホルダーが売られていたが、開封しない限りそれはただのキーホルダーだ。さあ、ポルノグラファーは、何を出している?

「君の一番汚いところを 綺麗にしてあげる」

私たちば松永天馬が露出する松永天馬によって、私たち自身の汚いところを暴かれているのだ。さらけ出された男の自意識に、独白によって、ライブハウスのひと時を満悦している私たちはとても汚い。あられもない自意識を潔癖にみっともないと忌避できるほど私たちは潔白に生きていない。服を着ていたって、肌が触れなくたって、言葉が彼を脱がし、また私たちを脱がしているのだ。

ライブハウスの地下で出されたアルパカ印のウマ安ワイン一杯で、夜にこっくりと浸される心地よさを味わい得たのは、私が汚く恥ずかしいからに他ならない。

 

それにしても、あの夜の松永天馬は男だったと思う。彼の性別は常々疑いようがないのだが、ソロ・松永天馬の時の彼は、ディスコミニュケーションの度合いが男だ。

彼が歌い詠い綴る言葉は、確かに心を打つものの、言葉によって何かを交わし合う可能性を感じない。彼が言葉を吐き出すたび、彼が決して交わり得ない別の生き物だということを痛感するだけなのだ。男は身体を持たない、詩人は幽霊だと彼は時に歌うが、まさに男の言葉はこちらの精神を撫ぜていくことはあっても、血肉になることはない。

ソロ・松永天馬はそれでも「君」に、ラブハラスメントをしてみたり、七日間恋愛をしてみたり、コミニュケーションを試みている。しかし、それは届いているかと言われれば、そんな気がツユもしないのである。新曲で「私はやっと生きられる」という誰かに対して「全部僕のせいだ」なんて言ってもみても、僕と私が解けあっている予感がなぜかしない。

吐いても、出しても、晒しても、さらけても、だれかの心に着陸こそしていれど、完全に交わり合うことはない男の言葉。キスができても、挿入ができても、それでも異なる二つの命は一つになれない。

「俺の言葉で妊娠しろよ だけど だけど出産するな」(天馬のかぞえうた)

「身体と歌だけの関係」でいやがれ。

 

終盤の「カルアミルク」のカバーで、ついつい六本木でカルアミルクなんて飲んで帰りたくなったけれど、日曜日の六本木で開いているバーを見つけられず、それでもお酒を飲まずにはいられなくって、なぜか恵比寿でアブサンを飲んで帰った。きっと関西に戻ったらカルアミルクが飲みたくなることなんて絶対ないわと思いながら酔った。ポルノグラフィなんてシラフじゃ直視できないわ。自分の汚いところを直視できないのとおんなじに。

 

短期育成型の時代

「最近の若手は頼りない」という嘆息交じりのやりとりが飛び交う一方で、

「最近の若手は若手でいられる期間が短いし、若手のうちに経験できるポストもないままに責任のある仕事につかないといけなくなって、大変だ」と慮ってくれる声もまた混じり合い、私たちの職場はなんだかんだで回っている。

 

新卒をきっちり採って、しっかり育てて、定年までゆったり勤め上げるといううちの組織で、ある程度の社会人経験を経た上で、新卒枠で採用で入った私は少々珍しいタイプの人間にあたる。

第2新卒という言葉が近いのだろうか。大学卒業後に正社員で勤めていた会社を3年で辞め、2年程、短期の派遣や契約の仕事を転々とした後、今の職場に入った。

今の職場で、新卒と同じ若手で入ったものの、若手としてどのように仕事をしていけばいいかに戸惑うことも多かったのは、若手の育成方針が、私が経験してきた仕事の中で、今までにないタイプの職場だったからなのだ、ということに4年目にしてようやく気づいた。仕事において若手に求められるものが、今までに経験したことのないスタイルの場所だったのだ。

そしてこのスタイルの違いは、今の職場内における「若手が経験値不足で頼りない」問題にも関係していると思う。

 

●俺たちの「若い頃」と、俺たちの「今の部下」の違い

まずは今の職場内の状況について考えてみる。簡単に前提を説明すると、うちの職場は、役職なしで様々な部署の仕事を経験したのち、だいたい30代に入るころに主任・係長クラスに昇任する。年功序列制がきっちりしており、昇任試験はない。病気や妊娠出産による長期休職などの余程の事情がない限り、昇任できる。

上記のルートで職務経験を積んでいく我々だが、昔と今、上司たちの「若い頃」と、上司たちの「今の部下」とにある主な違いは下記のような点だ。

 

<俺たちの「若い頃」:昔の若手>※諸先輩方の聴取による

①高卒採用で、役職なしの期間が10年近くある。

②各地方の現場の仕事を行う地方事務所配属になることもあれば、統括的な仕事を行う本社配属になる機会も多く、現場・本社双方の経験ができる。

③業務量に対して人が多く、一人当たりの仕事量が少ない。

 

<俺たちの「今の部下>:私たち現代の若手>

①大卒採用で、役職なしの期間が6〜7年程度。

②人員削減で役職なしの若手が配置されるポスト自体が少なく、役職なしの若手は本社配属しかない。昇任して初めて現場を経験する。

③業務量は増えたが人は減っている。

 

さて、①の高卒・大卒の違いだが、これは役職なしで修行を積める期間の違いのみならず、組織と個人の定着性の濃度の違いも生んでいると私は思う。高校を卒業して即

就職した人間は、職場と一緒に大人になっていく。大学生だって、社会人デビューが卒業直後という点では同じだと思うが、諸先輩がたと大卒採用の私たちが違うのは、18歳からの4〜5年間を、仕事中心で過ごしてきたか、学生時代という個人中心で過ごしてきたかの差なのだ。前者の方が、ものの考え方や生活と仕事とのフィット度がより高いし、職場の人たちと過ごしてきた期間も違うから、コミュニケーションの深さにも差が出る。業務経験を超えた「うちのやりかた」「うちの空気」への習熟度が高いのだ。

 

ちなみに大学卒業後、正規・非正規、長期・短期と様々な職を渡り歩いた後に入った私は、この「うちのやりかた」「うちの空気」に馴染むことに非常に時間がかかった。他所でやれたから、どこでもやれるわけではない。まっさらな紙に新しい色を塗るより、落書きだらけの紙に新しい色を塗る方が、落書きとのバランスが難しくて難儀する、ということもあるのだ。

 

②の配属ポストが少ない問題は、若いうちの経験値稼ぎの場所が限られているという問題だ。あらゆるポストを満遍なく経験し、様々な部署での業務内容な知識を総合的に使いながら仕事ができる人間になれるのが理想だろう。しかし、昔と現代で役職なし若手しての育成期間がほぼ半減し、かつ少ないポストを最低限の人数で回している状態だと、皆が皆、満遍なく色々なポストを経験できるとは限らない。するとどうしても十分な業務能力を培い切れないまま、昇任がかかってしまう人間も出てくる。

現場を経験しないまま、昇任後に現場配属になることは諸先輩がたが気の毒がっている状況からも、経験値不足の懸念がよくわかる。

 

そして③の一人当たりの業務量の多さだが、業務量が多い、特に業務のための作業量が多いと仕事だと、必然的に業務のうちの責任ある部分や判断を必要とする部分は上司、単純作業の部分は役職なしの部下、という分担になってくる。業務量が多いと処理速度もそれだけ上げねばならず、一つ一つの作業の意味について深く掘り下げる時間もない。

すると、今昔同じ席の仕事でも、仕事自体への理解度も高まらないし、責任感や主体性の感覚も鈍くなる。役職なしは、サブ的な仕事をやってくれていればそれでいい、と。

 

たまに私も「こんな作業ってわざわざ正規がすることなのかしら、やり方を工夫すれば派遣さんにお願いしてもいいんじゃ…」と思う作業が多々あった。なぜこれを正規の人間がするのか?理由を考えて私ははたと気づく。

「育てる余裕のある組織だからできるんだわ」

小さな作業を積み重ねて、業務に対する理解度を高めていけばよい。ゆっくり実直に育っていけばいい。そんな組織なら、サブ的なポジションで、小さな日々の業務を積み重ねることで、次第に業務全体の連関や仕組みが見えてくるようになるし、自分がやっていることの中身についてもっと深く知ろうという余裕も出てくる。

ただ、業務量が多く、かつ育成期間が短くなっているいまの若手に、そんな暇はあるのだろうか。暇がないことの歪みが「いまの若手は頼りない」という嘆きとして出ているのではないだろうか。

 

昨日どこかのシマから聞こえてきたのは、役職なしから現場の係長に承認したばかりの先輩に対する憂いだった。ひとつの係の仕事を任された、一人前の人間として責任感を自覚し、努力してほしいと。

しかしこの状況を生んでいるのは、業務の理解度も高まり切らず、育成期間が短く配属ポストも限られているゆえに経験値も昔ほど積めていない若手たちの過ごす数年間だ。それなのに、いざ昇進したら突然、一人前の仕事を要求される。役職なしのサブポジの若手と、役職付きの係の責任を持つ若手との間にある階段が急すぎるのだ。この急な階段を、叩かれながら決死で登るんだぞとハッパをかけられているのが、いまの私たちだ。

 

つまり、短期育成が必要な状況に、長期育成型向けの人事制度がそぐわないのだ。だが、それでもなんとかやっていかなければならない。

なんとかみんなやっているのだ。でも、このままずっとみんな、なんとかやれ続けるのだろうか。長期育成型育ちの上の方々は、どんどんいなくなる。不景気と世相による人員削減で、若い世代は上の世代に比べて人数も極端に少ない。

だが、人事制度を変えるのは難しい。私のような人間にできるのは、己の能力不足を自覚して謙虚に前向きに頑張ることや、後輩たちに自分たちがこの育成スタイルで困ったことを省みて、何を教えてあげれば少しでも助けになれるかを考えていくことぐらいだろうな。

 

<そもそも、こんなことを土曜の昼間にふらりと考えた理由>

一人前になるまでの道のりが、長距離から短距離になっている状況を、ここまで自分なりに考えてみた。一人前への道のり、それは私がいまの職場にきて4年間、戸惑ってきたものだったのだと、やっとの事で気づいた。私がこれまで経験してきた仕事との「一人前」の定義がいまの職場は違った。

今までの仕事は、役職関係なく早く一人前に!早く戦力に!という仕事だった。一人が一日でやることの責任も重かった。派遣や契約で補助的な仕事についていた頃も、補助的な仕事というよりはほぼ正規の方の代替の仕事をさせていただいたり、期間限定の新規チームで手探り状態で各々が主体的にやらないと回らないという状態だったりもした。

だから、いまの職場のこんなに悠長に育成期間をとってもらえる状況が私には馴染みがなかった。それゆえに、仕事の目標が見えづらくて困った。日々淡々とやるべきことをやっていれば若いんだからそれでいい、一人前はまだまだ先なんだから…そんな古き良き長期育成型時代のスタンスの人たちに囲まれて、モチベーションを維持することに難儀してしまった。

とはいえ、長期育成型の時代の人たちだって、いまの若手の育成期間が短くなっていることを考慮に入れていないわけではない。若手の頼りなさをただ個人の能力不足に背負わせすぎず、当面の目標は仕事の遂行なのだから、とりあえず遂行できるようにみんなで協力してやっていこうや、それが組織なのだからと、という割り切りとゆとりがあるのだ。これは、人を一つの組織でじっくり育ててきた風土もあるし、組織が組織としてきちんと骨組みを保っている証だ。最初に勤めたところはこの骨組みがグッダグダで、上司が上司として機能してない、派閥争いや個人攻撃が蔓延、といったところだったので、非常にありがたいところだ。

 

そして私も、役職なし期間たったの4年(社会人経験があることも関係。異業種だが)で、もうすぐ昇任する。ハードモードの階段が待っていることは不安しかないが、逆に、昔みたいな「早く戦力に!一人前に!」という状態に戻ると考えるなら、あの頃よりはうまくやれるんじゃないかな、あの頃うまくできなかった自分のリベンジの機会だなと思えば、前向きにもなれる。自分のいまの組織での経験値が4年しかないことは変えられないから、自分の受け取め方を変えるしかない。

どんな組織にも一長一短はあって、一概に善し悪しは言えない。一長一短の中で、なるべく善くあろうとするのがひとまずだ。

グレーゾーンのつらみ

貧乏というわけではなく、人並みの暮らしはしてたんだけど、どこか余裕のなかった家。
虐待なんてことは天地がひっくり返ってもなくて、親も子も一生懸命だったんだけど、どうも子が正しい自己肯定感を育めずに生きづらさを抱えてしまった環境。
知能も問題ないし日常生活も送れているんだけれど、どこか足りないところがあって損をする性分。


世の中にはそういう、グレーゾーンのつらさ、というものが溢れている気がする。

具体的に、圧倒的に悪いものが何もない。

エラーに名前をつけられない。

けれども、他人との関わりの中で様々な違和感が発生して、しょっちゅう苦しんだり悲しんだりする。


そしてこのグレーゾーンの苦しみを、黒に振るか白に振るかは、ぜんぶ自分にかかっているのだと思う。
黒に振って、他人や環境のせいにしたり、自分は病気だから、オカシイから、と決めつけてしまうのは、つらさを全部自分で背負って、自分で自分を責め続けなくてよくなるぶんには楽かもしれないけれど、つらさが消えるわけではない。


白に振って、いまと明日を、どうつらくなく生きるかを、地道に考えるしかない。

グレーゾーンのつらみは、自己免疫疾患のような原因不明の病に近いのかもしれない。

これ!という異常箇所はないのだが、苦しい症状はたくさん出る。

これ!というものがないから、対処を探すための原因探しや検査にとても時間がかかってしまう。だからたまに、検査の方にのめりこんでしまい、「私は○○だから」「昔こんなことがあったから」と自分を掘り下げていくことに気を取られてしまい、肝心の「どうすれば楽になるか」から離れ、どす黒い自己憐憫や自己卑下に陥ってしまうこともある。

 

 

でも、グレーゾーンのつらみを抱えた自分という人間は、いま、ここにしかいない。

グレーゾーンのつらみは、今日と明日につきまとい続ける。

つらみを抱えた人間が憂うのは、昨日のわたしの失敗であると同時に、明日のわたしの失敗のおそれなのだ。

だから、グレーゾーンな自分なりに工夫して、足りないものを補いながら、生きていくしかない。

 

それが10代後半〜20代にメンヘラと呼ばれ、20代半ばで一旦壊れ、30代を目前にしてようやくそれなりに暮らせるようになったこの頃の私である。

 

 

 

 

満たされている故に欲が腐る

この一年で非常に性格が悪くなった。
常にフラストレーションのガスが充填していて、些細なことでバチンと火花が上がり、機嫌を損ねる状態だ。
自分で自分がいつも情けない。

 

ガスの発生源は、生活が落ち着いて出てきた余裕と、今の部署の仕事だ。

 

いやはや、とても贅沢な暮らしになったと思う。

心身ともに不調がちだった状態から解放され、体調が良く心が穏やかな状態がデフォルトと思えるようになった。

最初の仕事を挫折し辞めた後は、転職希望の業界で必要な試験のために専門学校に通いながら、いつ正規の仕事に戻れるかがわからないので、短期の派遣社員などをして食いつないでいた。仕事と勉強で忙しかったし、短期の仕事の雇用期間が終了した後の、次の仕事がなかなか見つからないときの不安は絶大だった。また、専門学校に通っても希望する転職先に就職できる確率は100%ではないため、安定した生活への見通しが立たない時期があった。

それが今や、正規の仕事に就き、時間給ではなく月給が確実に振込まれ、さらにはボーナスや有給休暇までいただけている。一緒に働く人には、人間不信を催させるような人がおらず、きちんと仕事を教えてくれる親切な人ばかり。そして、働いたお金で好きなものを飲み食いし、友人たちと気楽に遊びに行ける生活。

自分みたいな能力の低い人間が、このような高待遇で、社会でちゃんと働かせていただいているだけでもずいぶんな幸福だ。物凄い贅沢をしているのに、この贅沢を当然と思っているから、さらに上を望むようになっている。

自分の人生に欲が出てきているのだ。満たしたい欲があるから、不満が溜まるのだ。

 

そして不満を生んでいるのが今の部署の仕事だ。

今の部署のは、事業執行の中間処理班みたいなところだ。
中間処理班なので、自分の係以外のところのいろんな事情に動かされ、その中で守らないといけないルールの範囲に収まる適正な書類を、淡々と整えるのが日々の業務だ。

とにかく周りに動かされる係で、周りからはああしてくれ、こうしてくれと言われっぱなし。

案件に応じた処理をする知識や事務処理の正確性を問われつつも、淡々と処理と作業をこなしさえすればいいんだよという、退屈さ。

淡々と処理と作業をこなしさえ、というのは、経験値の浅い下っ端ゆえ、できる仕事に限りがあるということで、致し方ない。

しかし中間処理班の仕事は、何かを生み出すのではなく、成果のための下処理であるから、自分のやったことに対する達成度や面白みが見えにくい。面白みを見出そうと、作業の中に創意工夫の余地を探すも、(でも所詮、ここで頑張ったことは、うちの組織の中でしか通じない)と思うと、何だか虚しくなる。

その横で同僚に「真面目だよねー頑張っても頑張らなくても給料は同じなのに」と言われ、さらに心がカサつく。

 

面白みを探しにくい。頑張っても頑張らなくても同じの下処理。

周りからあれこれ言われる割に、得られる手ごたえのなさに、私は一人で勝手に心を腐らせている。

面白みと、自分のやった仕事が何かになっているという実感を求めるなんて、贅沢病だ。

 

しかし、満ち足りた細胞が死んでしまって、不満を感じる細胞ばかりが異常増殖した心を治すのは簡単ではない。ガンの切除手術みたいに、悪いところだけを切り取るという処置は心にはできない。

不満を感じる細胞を再生産するプログラム、いわば自分の物事の考え方や捉え方を修正しなくてはいけない。

そのためにまずは、おまえは既に十分満たされているんだよ、贅沢をいうなよ、との現状の幸福に気づかせて、満ち足りた細胞の復活と活性化が必要だ。今日のこの記事の執筆はまさにその作業である。昔に比べたら落ち着いた生活してるなぁ、もっと良く暮らしたいという欲が出てきたんだなぁ、満ちてる故の不満なんだなぁ、と気づく作業。

 

とはいえ、これだけだと、「満たされてる状況だというのは理解出来るけれど、 じゃあ既に発生してしまったこのモヤモヤした感情はどこに遣るのよ!すぐに捨てられるんなら、そもそもこんなに悩んでないでな!」と欲張りな私は駄々をこねる。「謝って済むなら警察いらんでー、忘れて済むなら警察いらんでー」と吉本新喜劇あたりに出てきそうなチンピラが頭の中を訪ねてくる。残念ながら我が心のグランド花月には、これを楽しくしばいてくれるすち子もいない。すんまへん当方関西在住。

「あなたは状況としては恵まれているのだから、不満を言ってはなりません。不満を言うべき状況ではありません」と不満を理屈で否定しても、どうやら人間は納得しにくいらしい。(※)だから、気持ちの方も、ケアしてやる必要がある。

さて、モヤモヤとした気持ちの方にフォーカスする。もっと面白く、手ごたえのあることがしたいという欲求をなんとかしてほしいわけだ。でも、それは仕事だけに求めるのは難しいかもしれない。仕事以外の場所に、やる気を持って取り組める、達成したいことを探してみるのも手だ。

休日にできる、社会活動などのプロジェクトに参加してみる?習い事を始める?資格を取る?何か作品を作る?仕事中心の生活は仕方ないけれど、精神的な富までを全部仕事で稼いでくるのは不可能だ。

そう、満たしたい贅沢な欲の存在そのものを肯定した上で、可能な範囲でその贅沢な欲を満たす方法を考える。欲求不満は欲があるから出るわけだが、欲の側をケアしてやるだけで、立っている気が収まるような気になってくる。お前は不満の瘴気をシューシュー出して腐らなくてもいい欲なんだからね、その欲は腐る以外の使い道があるのだよ。

 

こうやって、フラストレーションのガスが過剰発生している我がメンタルという厄介な装置のメンテナンスを試みる。メンタルという装置は、メンテナンスが楽チンな構造の人と、そうでない人がいるのだと思う。私のような後者は、手間をかけて、日々地道に点検と修理を繰り返すしかないのだ。今日はガスだまりの点検でしたとさ。

 

補足

※  「状況」と「感情」を分けて考え対処するというのは、田房永子さんの『キレる私をやめたい』で紹介されていた。個人的にはすごく衝撃だった。

ずっと「満たされてるから」「文句を言うべきじゃないから」という状況によってのみ、自分の感情をコントロールしようとしていたから、私はいつも苦しかった。状況どおりの気持ちになれない自分を嫌悪していた。自分の中に「状況を理解しているマトモな自分」vs「いうことを聞いてくれない困ったちゃんな自分」の二人が対抗している気がしていた。でも本当は、「感情=困ったちゃんのほう」を、出てきたらあかんやろ!引っ込め!抑えつけるのではなく、困ったちゃんが発生したなら仕方ない、出てきたものを否定はしないから、なぜ出てきたのか、どうしたらおとなしくなるのかを、困ったちゃんの方にもヒアリングして、ケアしてやることも必要なのかもしれない。

 

 

序:趣味は自分

なぜ自分はこんな人間なのか?どうすればもっとまともに生きられるのか?

 

そんなことばかりを考えているうちに、週休二日制オフィスワーカーに与えられた貴重な2日の休みはあれよあれよと過ぎてゆき、住んでいる社宅の窓から差し込む日差しは夕暮れの色を帯び始める。

そうやっていつも、自分のことばかりを考える事に時間を費やしてきた。

 

何かの打ち上げの飲み会で、皆が最近台頭した芸人の名を口にするが、誰一人わからない。

 

人々がテレビでアキラの華麗なるお盆さばきや、ブルゾンちえみの女っぷりに頬を緩めている間、

きっと私はずーっとグーグルの検索ボックスに「注意力散漫 原因」「情緒不安定 対処」「熟睡できない」といった類のワードを打ち込んでは嘆息していたのだろう。

それほどに、私は自分について考えてばかりだ。

リビングでテレビを眺めるほどの気軽さと頻度で、私はいつも、なぜ自分は失敗するのかとその解決策を、悶々と悶々と考えている。

これはもはや立派な趣味だな、と思う。

 

じゃあ、趣味なら趣味で、自分について様々に思案したことを、ブログの記事という、簡単な形ではあるがまとまりのある姿にして、残す楽しみを加えてやってもいいのではないかと思い、このブログを作った。

 

人より生きるのは下手くそな方で、たまたま周囲の人間に恵まれていたおかげで、無事定職について、自活して暮らせている。

しかしここまでくるのにも、遠回りはした。

詳しくはくどいので書かないがメンヘラだった。最初に勤めた仕事はうまくやれずに、出社困難になって辞めた。浪費癖がひどく、目下の課題はカードのキャッシング残高数十万の返済計画。悩み過ぎて自己啓発セミナーに通ったこともある。

あの頃に比べたら、とてもまともになったな、よく変われたな、とも思う。その一方で、まだまだ問題も多いオトナもどきだな、とも思う。この前も職場で感情的になってしまったし、疲れてやけ食いやけ酒もしてしまったし。自分の内面の問題、自分の捉え方の問題で、周囲への余裕もなくしている昨今にもウンザリだ。

 

死にたい、こんな自分を生かすのが嫌だと思いながら、その割に長々と居座って、今年はとうとう三十路デビューも控えている。これはもう諦めて、生きやすい人間になる方向にシフトチェンジせざるをえない。

そうでないと、ここまで生かしてくれた人たちの数も生きた年数分だけ沢山になってきて、申し訳が立たないのだ。

だからね、もっと機嫌よく生きましょうよ、もっと楽しく生きましょうよ、それで周りに迷惑かけずに、楽しく優しく生きましょうよ。

そのための術に足りなくて困っている脳みそをクルクルと回転させるのが、私の趣味みたいなものである。