誕生日はB’zのホットパンツ探して過ごした
松永天馬殺人事件 20190209神戸元町
あの事件は何せ「映画」なので、上映できる場所さえあればどこでだって繰り返し発生してしまう。松永天馬は東京・大阪・京都…日本のあちこちで映画の中で何度も殺された。その都度、観客の心中に何かが起きたり、起きなかったり。
一つ言えることは、どこで上映されようと、どこで殺されようと、彼は気持ち悪い。100分の尺に整えられた事件の結末は修正不可能なはずであるから、あとのことは事件を目撃する側の状況に委ねられている。何度観たってハートフルもお涙もクソもない気持ち悪い事件には変わりない。変わることは、ない。はずである、本来。
そしてこの気持ち悪い映画が、神戸・元町にやってきた。「松永天馬殺人事件」の上映だけでなく、音楽談義や映画談義といった松永天馬のトークショーイベントも一緒に引っさげて。
私はかつて神戸の元町に住んでおり、「松永天馬殺人事件」が上映される元町映画館やトークショーの会場のある界隈は馴染みの場所だった。神戸大丸前の交差点を渡って、映画館のある元町商店街のアーケードの下を、何度飲んで帰っちゃほろ酔いで歩いたか。
そんな何時もの道すがらでふと目に止まった、「松永天馬殺人事件」のあのモノクロのフライヤーが積まれている姿よ。私はいささか困惑した。あの気持ち悪い事件が、とうとうこんなところにまで。松永天馬氏の楽曲「LOVE HARASSMENT」の歌い出しじゃないけれど、「こんなところでごめんね」じゃないですよ、ほんまに。
というわけで、折角なので関連イベントのある2月9日に、私はいそいそと元町へ顔を出した。映画の上映は夜からだったので、まずはお昼下がりに神戸大丸そばの「音楽図書室:フォノテーク」で、安井麻人氏との音楽談義から。音楽談義が終われば、大丸前交差点を渡って商店街のアーケードの下を真っ直ぐに奥へと進み、ラジオ番組「シネマルネサンス」のMC陣の方々との映画談義へ、元町映画館へ。
https://ameblo.jp/zeneitoshi/entry-12432472396.html
どちらも如何せん良かったのだが、この話を書いていてはいつまでたってもこのブログ一綴りが終わらないので、また後で。しかし、昼下がりに松永天馬と音楽のトークショー、夕暮れに松永天馬と映画のトークショー、と半日ずっと松永天馬を追い続ける休日というのもなかなかのものである。神戸の1日ですらこんなにも濃い1日なのに、東京のような、たくさんの活動現場に赴く機会があり、そこに都度参加されているアーバンギャルド及び松永天馬ファンの皆さんの心身の体力は実に凄いと思う。特に心。それを考えると、かのファンたちは果たして心が強いのか弱いのか分からない。
*
やがては夜は更け、私にとって三度目の「松永天馬殺人事件」の幕が上がった。
やっぱり、何度見たって、彼は気持ち悪い。
きっとこの映画に満ちる不愉快な湿りは、彼自身の自意識が彼方此方にぶつかって反射して飛びっ散った飛沫から漂うものなのだろうと思う。暗室でたった一つ手放すこともできずにずっとそこに在って、懊悩に怒張する、誰の手にもどうにもできない類の器官を常に満たすそれは、まさかの映画館の中の100分間の悪夢に幸か不幸か出番を得てしまった。
もう3度も見たから分かっていたことだったけれども、やっぱり気持ち悪いこの事件。だがこの日はもう一つ、予想だにしていかった”事件”が待っていた。事件を起こしたのは、上映中のあるシーンで、ある意味この日のベストアクトとも呼ぶべきナイスなリアクションを取られた、とある観客の方。そして、同時上映作品の舞台挨拶に控えていた、キュートな子役のお嬢さんだった。
この日の同時上映は「ゆかちゃんの愛した時代」。平成生まれ・平成育ちの関西人の2人の男女が、終わりゆく平成のポップで懐かしく愛おしいカルチャーたちを、軽妙な関西弁の掛け合いで追走してゆきながら、今を、明日を生きていく物語だ。どうしても関西で暮らして来たのが長いせいか、調子の良い関西弁の掛け合いというのにはつい親しみを覚えてしまい、初めて見る映画に対する人見知りのような強張りの気持ちもほぐれてしまう。また、昭和の終盤生まれの私は、ゆかちゃんよりは少し年上だけど、平成に育ったことは変わりはない。だからあの平成を、子供の目で見て触れて育った平成、まだレトロにもなり切れていなけれども確実に新しさからは遠ざかっていく時代を、映画のかたちで一緒に愛でることができて、とても楽しかった。
さて、この映画の舞台挨拶に、主人公の子供時代を演じた通称・ちびゆかちゃんが監督と一緒に登壇する。照れ臭そうだけれども堂々と舞台挨拶をこなすちびゆかちゃん。
ちびゆかちゃんが無事に挨拶を終えると、次は松永天馬の舞台挨拶へ。ここで進行の映画館スタッフの采配が冴え、先に挨拶を終えたちびゆかちゃんと松永天馬とのちょっとしたコラボレーショントークの流れとなった。どんな流れだったかは、あの夜あの場にいた方が微笑ましく思い出せばよく、インターネットブログに仔細に書き残すのは野暮な気もするので省略する。
(元町映画館さんの公式イベントレポートで、この夜のことについて記事があります。
神戸・元町商店街のミニシアター『元町映画館』| イベントレポート |)
ただ、松永天馬は突然の展開に困惑していた。観客やスタッフはニヤニヤとしていた。ちびゆかちゃんは、壇上で対峙することとなった松永天馬に、何も言えずにじっとひいていた。松永氏はちびゆかちゃんに努めて優しく語りかけようとするのだが、しかしその優しさに彼独特の斜め上にひん曲がったテンションの不純物がかき混ざって、結局生ぬるく気持ち悪いのだ。
最後に映画館スタッフがちびゆかちゃんに、今日実際天馬さんに会ってどうだった?と訪ねた。ちびゆかちゃんは、終始照れだったり天馬おじさんへの困惑だったりで愛らしくもややまごついているような様子もあったのだが、こればかりはしっかりとした関西弁で答えた。
「…テンション高い人やなって思いました。」
観客席にどっと笑い声が満ちる。あんな気持ち悪い映画を観た後とは思えないぐらい、和やかな時間が流れていた。
…とここでふと驚いた。「松永天馬殺人事件」で客が笑うなんてことは、大阪や京都ではなかった事態だったからだ。
実は舞台挨拶の前のエンドロールの直後から、館内は笑い声に満ちていた。こんなこと、大阪や京都にはなかったのだ。大阪や京都の上映後というのは、誰も何も口にはしないが「まずいものを観てしまった」「なんと感想を述べれば良いのかわからない」とでも言わんばかりの、松永天馬お得意の「ご愁傷様でした」というフレーズがしっくりくるような空気が漂っていた。
だが、神戸のこの日の上映は違った。とある観客の方やちびゆかちゃんといったベストアクトが功を奏したことも大きいのだろうが、それにしても同じ映画を上映したはずなのに、ラストからの展開に対する客のリアクションがてんで違ったのだ。
なぜこのような事態が起きたのか。詳しくは重大なネタバレになってしまうために書けず、これは映画を実際に観た者しか理解できない。映画館で観た者にしか分からない。また、映画館で観ることができても、皆が等しくこのような事態に遭遇できるかどうかも怪しい。
しかし、私は目撃してしまった。三度観た同じ映画で、観客の反応や客席の空気の色がとりどりに異なる現場を。そして、私は実感してしまった。三度観た同じ映画に対する自分の感想は、「松永天馬気持ち悪い」という軸は変わらない。だが、異なる同じ映画を三度観て、編集を終えて筋書きもセリフの一つ一つもみんな修正不可能であるはずの映画を三度観て、映画帰りの夜の質感がそれぞれに違うのだ。
神戸で上映や舞台挨拶の全てが終わり、皆が順次映画館の外へ出た。映画館の玄関口にはどこか和やかな空気が漂っていて、すぐに帰らないファンも多かった。私も映画館で久々に会えた神戸在住のファンの方々とついついだらだらと話していた。するとそのうちに、関係者の記念撮影が始まったのだが、あまりの温かな空気が勢い余り、辺りに残っていたファンまでももう一緒に写ってしまえよ!とカメラに収まってしまった。
ほんまにこれ、「松永天馬殺人事件」観たあと?信じられないほどに、ハートフル!
*
「今日の松永天馬殺人事件は、成仏したな」
やっと人が散り、いつもの閑散とした夜の様子に徐々に戻っていく商店街のアーケードの下を歩きながら、ふと思う。あの犯人も不可解で難解で不快の詰まった作品が、ちびゆかちゃんをはじめとする様々のベストアクトたちにより、偏屈な男が撮った奇特な100分の悪夢のさらに向こう側へと昇っていってしまったかのような気がする。
今日のことは、「松永天馬殺人事件」を観た休日と呼ぶよりは、「松永天馬殺人事件鑑賞事件」に遭った休日と呼んだほうがしっくりきてしまう。映画そのものでなく、映画を観に出かけたその日一日がすっかり思い出になってしまったかのような。
そういえば松永天馬が、大阪の舞台挨拶でこのようなことを言っていた。現代はAmazonプライムといったサービスで自宅のPCやスマホで安価にお手軽に映画が見られる時代であるが、それは映画ではなく、動画なのではないかと。「動画」がコンテンツとして流通するようになったのはここ10年近くの動きだが、そうすると。動画と映画の違いって何なのだろう。松永天馬が言うように、映画が動画として配信されることで充分に楽しむことができるのであるならば、「映画を観に行く」という行為の定義そのものが怪しくなってしまう。
私たちにとって、映画ってなんなのだろう。
私はさっき神戸での一夜を「松永天馬殺人事件鑑賞事件」と呼んだが、あれは確かに動画配信では体験できずに、劇場に足を運んだからこそ遭遇できたことだった。しかし、通常の映画の上映ではそうあんな事態は起こり得ない。
エンドロールで松永天馬は唸るように歌う。
「あんたたちだってスクリーンの外にいるとでも思ってんだろう?」
映画は、スクリーンの外で観るから映画なのでは?他人がフィルムの上に作った世界で、当事者になってみろと言うのか。どうやって?
スクリーンにぶちまけられた松永天馬のベトベトの自意識に、己を省みて問い直せと?
あの事件のあんな顛末から、シナリオどおりの人生や配役通りの自分自身を信じることの儚さに気づけと?
こっちがそのつもりはなくたって、突然こちらを巻き込もうとしてくるあの殺人事件の事件性に、何かを感じろと?
いいや、答えはどこにもない。あの事件の犯人みたいに。
その方法は、観るものに任されている。
*
振り返れば大阪、京都、神戸、それぞれの殺人事件は、それぞれの思い出を纏ってわたしの海馬にうっすらと浮かぶ悪夢の姿で落ち着いている。
あの悪夢のことをたまに脳裏からひと匙掬い上げて思うには、あの映画を観るには「観る」ということへの能動的な姿勢が必要とされると思う。ただ観ているだけは、天馬がキモくて訳のわからない映画だ。ただ、なぜ気持ち悪いのか、なぜ不快なのか、何が怖いのかを、自分自身の中を探偵してみるような冒険心があれば、楽しめる映画かもしれない。
とはいえ、これは私個人の感想であり、他の人にいかなる作用を及ぼすかは、その人次第である。それが作品だからだ。それが映画だからだ。
松永天馬殺人事件 20190119京都出町座
映画なんだから、結末は何度見たって一緒のはずだ。撮られた映画は、フィルムに焼き付けられ、再生されるシーンとされないシーンとが切ったり貼ったりで再構成されを経て、未来に書き換え更新される可能性を奪われた、ひとつの完成系の過去になる。完成された過去の連なりを変えることはできない。
それなのに私は2度目の「松永天馬殺人事件」を観に行く。結末も知っているのにーいや、あの映画に結末なんて、さて?
なんて勿体ぶってクエスチョンマークの先に何らかの展開を匂わせるような書きぶり、くだらない。大した理由などあるか。その日私が京都に向かったのは、ただの松永天馬ファン故でしかない。それ以上の理由でもそれ以下の理由もない。
この日「松永天馬殺人事件」が上映された京都出町座は、監督・主演・その他一式を手がける松永天馬が卒業した同志社大学の近くにある。そこは小さなアーケード街の一角にあるのだが、さすが京都というべきか、小さいながら決して庶民的な薄汚さなどは一切なく、こじゃんとした佇まいである。
何年か前に、京都のNHK文化センターで松永天馬の公開講座が開催されたことがあった。そこで確か松永氏は、京都の街は、東京で生まれ育った彼が、いわば「アウェイ」を味わって過ごした街だったというような話をしていたかと記憶している。彼はやがて東京に戻り、出版社での仕事やら音楽活動やらに奔走している間にとうとう映画を作った。彼の作ったこのとんでもない映画は、東京での公開を経て、とうとう関西のシアターを巡ってきた。
東京各地のシアターから関西へ、「松永天馬殺人事件」という映画の上映回数が増えるたび、日本の津々浦々に殺人事件の目撃者が増えていく。目撃者が増える分だけ、殺人事件に対する証言の数も増えていく。けれども、その先に事件の解決があるとは私は思えなかった。映画の結末がどうであれ、この映画に対する解決が、スッキリと導き出されるとは思えなかった。国民的探偵もの推理アニメは真実はいつも一つ!と謳うし、明智小五郎だって犯人を明かした先に話を結ぶ
けれども、「松永天馬殺人事件」の犯人が誰とか以上の、この事件とは一体何だったのかということを、探偵のように断定できる者なんているんだろうか。既にだって十三で私はわからなくなったのだ、誰が殺されたかが。
でも、2度目に見たら、また新しい手がかりを見つけるかもしれない。
そうして小さなシアターのシートに私は身を落とす。
結論としては、やっぱりわからずじまいだった。誰が殺されたか、誰が犯人か、罪状は何なのか。これは本当に「松永天馬が殺された」というだけの事件なのか。
…やっぱりみんな、わからずじまいだった。
*
ただ一つ、新たに感じた事がある。それは、殺されたのは松永天馬だけではない、ということだ。映画の中で殺された松永天馬は、上映と同時にまた、映画館で誰かを殺している。
「松永天馬殺人事件」はムーラボという映画祭の出品作で、短編と長編を同時上映するという形式を取っており、「松永天馬殺人事件」は長編に当たる。だから、「松永天馬殺人事件」の前には別の短編が上映される。0104の十三は「内回りの二人」、0119の京都は「ドキ死」が同時上映の短編だった。出町座では「ドキ死」の舞台挨拶が行われたのだが、監督の井上さんは、「松永天馬殺人事件」が同時上映であることが正直歓迎できないような風のことを言ってた。そりゃあそうだと思う。
どちらも、松永天馬殺人事件がなければ、心地よくあたたかな気持ちでシアターを後にできる映画だった。
「内回りの二人」で映し出される、冷たいコンクリート構造物と不夜城と称される街から小さくも無尽蔵に供給される灯りとが成す東京の夜の画に満ちる、無機質なのにどこか有機的な匂いを感じてしまう都市の情緒。ヒロインが歌うテーマソングは、一度聴いたら忘れられなくって、いまだについ炊事の合間に口ずさんでしまうキャッチーさ。人間同士がたまたま出会ってたまたま近づいて、そして。そんな、その渦中の時は大事件だけれど、きっと長い人生というスパンで振り返ってみれば些細な出来事が、丁寧に描かれた映画。
「ドキ死」は一人の女の子のささやかな恋物語が、奇天烈な男にかき回される物語。他人を受け付けない激しい内気、相手の気持ちを一切顧みない激しい思い込み、ベクトルの違う内向きな恋が事故的に出会ってしまう。主演のnakanoまるさんがとにかく可愛らしい。舞台挨拶に登場したnakanoまるさんは、華奢の概念をふんだんに凝縮したような女性で、ギターを弾き歌う姿も魅入ってしまうし、弾き語っている間にロングヘアーの毛先がギターに引っかかりそうになるのを気にしている仕草もいちいち良い。ギターという楽器を扱う人間が果たしてここまで小綺麗に愛らしくて良いのだろうか、と新鮮に映る。と言うとお前のギターのイメージは何なんだよ、うん、感情や情念の表現のための道具だとついつい思いがちな趣味をしてるせいですね。
こんなにもあたたかな、さわやかな気持ちになるきらきらした小品のあとにサーブされるのが、「松永天馬殺人事件」という、ある男のある部分が拗れて腐った臭いが混じるどろどろの100分。鑑賞後の気持ち悪さが、同時上映の作品たちに抱いた素直な喜びを、遠慮なく殺してくる。
*
出町柳を後にして夜の河原町の路地裏に向かった。友人のそのまた知人のやっているバーがあったことを思い出したのだ。
流石京都の小綺麗なバーだったが、2度目の松永天馬殺人事件の後の夜、洋酒だの澄んだ色の酒だのを飲むような気持ちではなかった。だから、熟成してこっくりと飴色になった剣菱の古酒を熱燗にしてもらった。スクリーンの向こうから散らされたあの事件のなまぐさい匂いを紛らわすには、濃い酒でも飲まないとやっていられなかった。
松永天馬殺人事件 20190104 大阪
帰省先での滞在を一日早く切り上げて、伊丹空港へ降り立つ。一日早く実家を出た理由は、当然実家の面々には言えなかった。観たい映画があって、その関連のイベントがあるとだけ説明した。
梅田を歩いていて偶然職場の同期とすれ違う。横断歩道で手を振り行き違うだけで、当然これからの行き先など知らせる間も義務もない。ひたすらに阪急の駅舎へと向かう。かの事件は、十三で目撃できるのだという。
松永天馬殺人事件。
その日が初めての「松永天馬殺人事件」だった。
「松永天馬殺人事件」という映画のあらすじはこうだ。アーバンギャルドというバンドのフロントマンであり、バンド以外にも役者や小説執筆といった多彩な活動を行う男・松永天馬が殺される。殺された彼は、冨手麻妙演ずる探偵とともに、彼を殺した犯人を追う。
上映が決まった映画館のチラシ置き場の棚にちらほらと積まれ始めたモノクロのペーパーには、何を考えているのか分からない顔、重く意気消沈しているのかそれとも嘲って笑っているのか判別のつかない顔をしたスーツの男が一人突っ立っている。一部の物好きが観るような陰鬱な映画だな、と思いながら、自分自身もその一部の物好きの一人なのだと自認する。殺人事件の犯人探しでは犯行動機の解明が不可欠だが、誰も知りたがらないこの殺人事件の鑑賞動機について探されてもないのに勝手に述べるならば、ただの松永天馬ファンだから、それだけだ。
私はアーバンギャルドというバンドを愛好する日々を通して、バンドの作品やパフォーマンスを根幹の部分から作り上げる松永天馬と男の活動そのものに興味を持っている。天馬さんがソロ名義で映画を撮るなんて、一体どんな代物が出来上がるのだろう。冨手麻妙も出ているし、少し前に発売したCDに同梱されていた短編映画の続きや関連作なのだろうか。探偵らしい探偵ルックの美少女探偵が出てくる殺人事件だなんて、どんな推理や筋書きや動機やトリックが展開されてゆくのだろうか。
そして十三の雑居ビルにある小さなミニシアターの幕が上がり、松永天馬が殺される物語が上映されるだ。予告編で「誰が、死んだんだ?」と探偵に問いかける彼は、殺されたはずでありながら、スクリーンの上を縦横無尽に駆けたり踊ったりし、そして、問いかける。
ー誰が殺した?松永天馬。
上映後、この問いに対する答えをー犯人を確かめてシアターを後にできた観客は、果たして何人いるのだろうか。
だって、観た後に、さっぱりわからなくなってしまったのだ。
誰が殺したか?いいや、そもそも、誰が殺されたかが。
あまり具体的に言うとネタばらしになってしまい、映画泥棒に加担してしまうから、言えないが。言いたいことがあるとしたら、うん、大阪で見たし、関西弁で言うか。
なんやねんこの映画。
私は松永天馬のファン故に楽しめる箇所があちこちにあったので幸いだったが、しかしそうでない、「映画」を観にきた人間は、果たしてこの100分間の悪夢をどう受け止めることができたのだろうか。
なんやねんこの映画。
孤独を殺さないでくれ
誰にも理解されない、なんて拗ねたことは言わない。誰にも理解されないし、理解される必要のない幸せがある。
その幸せは、内にある。誰かの容易い共感も同感も決して許さないほどの、自分一人の感性の内々の奥にある。
自分の殻、と世間一般的には破った方が生き易いとされる境界の内側を、目一杯に駆け巡ることでふんだんに湧いては止まらぬ幸福がある。
湧いては止まらぬそれは、決して自分という枠の外へ流出することはないけれど、それでいいんだ。
例えば、一人で行く美術館や、建物や、旅先のあちこちの景色。
自分のペースで絵を観て、誰かの意見によるものではなく、自分がピンときた絵の前で、好きなだけ立ち止まる。時に作品の色彩やかたちの巧みさに感激し、驚き、時に作品から発されるエネルギーのようなものにあてられそうになって、乱れそうになる呼吸をふうと整える。
街をふらふらと歩いているとき。街はあらゆる商品と、商品たちを魅力的に見せるための細工や仕掛けとを詰め込んで、できている。きれいになりたい、かわいくなりたい、かっこよくなりたい、快適に暮らしたい、美味しいものが食べたい、刺激が欲しい、便利に暮らしたい…あらゆる誰かの幅広い欲望が、形になってそこかしこにプライスタグと一緒に並べられている。とりどりの「誰かの欲しいもの」を観ながら、人の欲を叶えるために作られたものたちといえど、この世にはこんなにもたくさんの色や形や匂いや味や手触りに溢れているのだ!という事実に素晴らしさを覚える。
この私が私の中でささやかに感じている小さな胸の震えは、誰とも共有できないし、共有を試みたって仕方がないと思う。誰かと同じものを食べて「美味しいね」と言うことももちろんとても幸せだ。しかしそこからさらに深く、お店の雰囲気がああでこうでとってもときめくのだ、こんなお皿にあんな形の飾りが乗って出てきた食べ物のことがどうだ、といったことをいちいち仔細に語ってはいられないし、言語化して表現して相手に伝えることだけが物事の楽しみではない。そこに居ることで、現在進行中で湧いてくるものを、感じたままの感触で、自分の内面だけで堪能するのも楽しみだ。
音楽や文学や映画だってそうで、感想なら人と言い合えるけれども、鑑賞中や鑑賞後の胸の高鳴りやざわめきは、他人の胸中でも自分と同じ高鳴りやざわめきを起こすことは不可能だし、感じたままにしか味わえない類のものだ。
私は、そういった一人で感じてこその幸福に縋って生きている。私の外側にいる人間たちとの心の通い合いに安らぎれない性分である以上、それが至上となってしまうのだ。精神の内皮に包まれたままで、誰の都合でもなく私だけの感動一つでぱっと発熱し、じんわりとあたたかく居てくれるもの。それと、生活のためのある程度のお金と仕事があれば、うん、充分生きていられる。
この熱を何よりも大事にしたいと思えるようになったとき、少なくとも、10代や20代の時に苛まれていた自分という人間のすがたかたち、こころのありようで生きていかなければならないことへの絶望はもう感じなくて良くなった。
一般的に、孤独はネガティブなイメージで使われるけれど、孤独でなければ得られない感動もまたあるのだと思う。人それぞれに独立した感性ゆえに得られる喜び、いわばポジティブな孤独がある。もちろん、他人といる時間も大好きだ。私を取り囲む人々は、ありがたいことに優しくて、親切で、愉快な人ばかりなものだから、こちらも必然的に明るい心持ちにさせられてしまう。
でも、それだけが私の幸福ではない。人それぞれに幸福感の材料にはいろんな配合があって、私の場合は、そこにポジティブな孤独の配分が多いのだ。
*
そんな私が恐れているのが恋愛である。
恋愛は、幸福感の原材料の配合の比率を変えてしまうようで怖いのだ。
まず、恋愛は赤の他人と深く付き合うことで、二人でいることによる新しい発見や安らぎや喜びを見つけていく営みなのだろうと思う。二人でいることに得られるものがなければ、交際の意義は見失われる。
けれども、交際には努力も必要だし、時間も取られる。ひとりでいる時にはかからない精神的な労力や、ひとりでいるための物理的な時間が奪われる。
けれども、それを不幸と思わないのだろう、私は。でも、もしも、ひとりでいる時間を削られることが不幸と思えなくなってしまったら、敗けてしまうようで悔しいのだ。何より一番大事にしてきた孤独の感性の居場所を、どうぞどうぞと易々恋に譲り渡してしまうみたいで、怖ろしいのだ。
まあ、そんな事が簡単にできるほど私は誰かのために生きてない。
だからどうか殺さないでくれ、私の孤独を。
*
けれどもいざとなれば、私の精神というやつは、誰かのために優しさや喜びを働かせてしまうことが、案外たやすくできてしまうらしい。誰かと一緒に幸福を試みることに、勢いで試みてしまえる奴らしい、私は。
つい先週、ひょんなことからこの誰かと一緒に幸福を試みる機会を与えられることになってしまい、私は戸惑っている。とりあえず日曜の今日、私は自室で一人MacBookの前に座っていられる自由を得たので、安堵してこのブログを書いている。
とはいえ、孤独が愛おしいのも、孤独を脅かす恋愛に怯えてしまうのも、結局は、私が人を愛しているからというだけのことなのだろう。私は人を恐れながら、人が好きだ。人が好きだからこそ、人からの疎外が怖い。人と自分との違いをまざまざと思い知ることで、孤独に価値を見出すと同時に、違う人間同士が共に過ごす事態がいかなる偉業かとも思えるようになる。
ひとりで味わうことが大好きな、作品や街の商品たちといったあらゆる美しいものは、全部人が作ったものだ。アレらは、人が作ったからこそチャーミングなのだ。
ひとりの幸せと、誰かといる幸せは、どっちがどっちというものでもない。根っこは同じ人であることで、表裏一体だ。
問題は、両者をどう配合して行くかなのだ。
そこに、昨今の試みの課題がある。なにせ他人と一緒にいるタイプの幸福は、相手の以降もあるので、こちらの一方的なこだわりだけでやっぱり辞退します、ともいえない。やってみてもいいかな、という意思を見せてしまった以上、もうやってみるっきゃない。
というわけで、私の孤独を殺さないでくれという願いは、新しい段階へ進むかもしれない。
退屈な大人の遅すぎるノスタルジー、こんなことを言い始めたらとうとうBBAだ
理屈抜きに何かを感じる、ということが年々難しくなっていく。
理屈抜きに聴いた音楽や観た芸術作品に泣きたくなったり、理屈抜きに歌を歌おうと試みてみたり、理屈抜きに小説を書きたいという衝動に駆られたり、理屈抜きにその場を楽しむことが難しくなっている。
なお、「楽しむ」というシチュエーションの中でも他人と一緒にいる時間については、生来の内向的な気質と、己の振る舞いが他人に快適さや好感を与えている自信が大抵持てていないゆえ、特に苦手意識をぬぐいきれない。楽しもうという意思はあるのだが、他人の楽しみを邪魔していないかが心配になってしまいすぎる。そんなときは大抵、両親の遺伝子からきちんと私の遺伝子にコピーされた肝臓の丈夫さを頼みにして、アルコールに同席してもらう。日頃の他者との関わりに対する自信のなさを「まぁ飲んでるからええわ、酒飲みのたわごとにしといてもらって許してな」と具体的に誰にお願いするでもなく、何よりも自分自身に対してそう酒を片手に頭を下げ免罪を乞いながら、己の振る舞いや発言に対する意識の集中を解除している。
*
「酒飲みのせいにして許してな」もそうだけれど、何かのせいにしないと楽しめないことが増えている。
正確には、何か根拠がないと楽しんではならない気がする。
物事に対して意欲を得たり感動したりることに理由がないと不安だし、物事に対して発生する喜怒哀楽の感情が、果たして妥当なものなのかを審査したくなってしまう。こんなことが楽しくていいんだろうか、長いようで短くしかも数年精神を病んでいた時期がありちょっと損している人生、もっと他に何かすべきことがあるんじゃないだろうか。
では、もっとすべきこと、とは何なのか。自分が選び取る行動に、価値の高い低いの値踏みをするとして、基準はなんだ。いったい私は何を目指して今後の人生を構築していきたいのか。どんな風に生きれば、自分に安心していられるのか。
そこでふっと視界が霞んでくる。脳のどこかにある思考の働きが作動する箇所を、面倒や難解や結論の不確かさといった予感が、霜が降ったかのようにように覆っていく。要するに、考える気が無くなる。はて、コーヒーを淹れるための湯でも沸かすか。
*
きっとこんな事態は、公務員という法令解釈・内々の運用および組織の空気という、絶対であるようで曖昧な理屈を駆使する仕事をもう5年も続けてしまえたせいもあるのかもしれない。そして5年目にして役職付きの立場になった分、口にする理屈に対する責任も重くなった。私が新進気鋭のガールズロックバンドのギターボーカルだったならば、つまらない大人になっちまったとディストーションを踏んで歌うだろう。いっそファズギターぐらい鳴らしてみたいが私の声質には適さない。でも、残念ながら私は新進気鋭のガールズロックバンドのギターボーカルではなく、自意識と中途半端な芸術志向をこじらせたただの三十路のしがない勤め人だから心配無用。
そういえば昔は、私に備わっている「理屈のなさ」を咎められたり、不思議がられたりしていた。
理屈なく湧いてくる絵や言葉を時に面白がられては、時に「だからお前は社会でやっていけないんだ、甘えるな」と時に非難された。
そして実際、就職に失敗したり、勤めた会社に馴染めず辞めたりという事態が20代に連なっていき、そこで私は社会に適応できない己の原因の一つを、社会の理屈に対する理解不足に求めた。自分の感じるものが、社会の理屈とうまくマッチしなくて、生きづらい。
そこからひたすら私は、世の中の健全に働き生きる人々の理屈を解しそこに与しようとした。その理屈は、主に損得勘定や、効率や、生産性、精神性の強さ、向上心、長いものに巻かれる心地よさといったもので構成されていて、当時の私にとっては、身につけるにはゴワゴワとしすぎていて着心地の悪いものだった。私という人間の核にふんわりと詰まっていた、思いつきだとか気ままさだとか幼い正義感だとか美しいものへの感動は、稼げない、就職市場においては価値がないと、生活の糧を得るためには不適当という査定ばかりになる。けれども、このゴワゴワを着ないと自分を守れないんだということはわかっていた。食っていけない、生活できない。どうか、このゴワゴワが似合う人間になりたい、と私は願った。
そして公務員試験を受けた。公務員は、よほどのコミュ障でなければ、テストの結果さえ出せば社会不適合者でも社会適合者の土俵にデビューできるチャンスだ。民間企業の転職市場のように前職での経験や即戦力かといったことはさほど問われない。
そして私は無事に公務員になり、真面目に働き安定して暮らせるよう、適応に努めた。時々酒を飲みながら半泣きで「くそったれ」という夜もありつつ、まあそこそこ成功した。転職後にちょっとした別れもあったショックから、ショックを埋めようとあちこちに出歩き、普段出会わないいろんな人にも会うようにもした。世の中には色々な種類の人間や価値観や暮らし方のパターンがあることを知ることで、少しづつ自分を客観視できるようになっていった。仕事や仕事以外で出会う人たちの振る舞いを参考にし、真似できること・真似してはいけないことを探す。他人を鏡にして、自分という人間はこんな風に他人の目に映るようになればうまくいくんじゃないかな?という姿を探す。そうこうしているうちに、あのゴワゴワは、無理して外側にまとうものではなく、いつも当たり前に身につけているものになっていった。
*
そして、時々唐突にさみしくなるのだった。
出来栄えはともかく、世の中になじむ自分をコーディネートすることができて、定職について、自分の稼ぎで自分を食わせられるようになって、随分自分に安心して暮らせるようになった。
けれども、自分の好奇心や突発的な感覚より適応を優先する癖が、前者を置いてけぼりにする。置いていかれたくないのなら、理屈を通して、それが通れば表に出してあげるわよ、といった交渉が私の精神の中で発生する。
退屈な大人になったな、と新進気鋭のガールズロックバンドのギターボーカルを夢想しながら思う。けれどもそこに反発しようともせず、きっとこれでいいのだと納得している。納得しているといいつつ、置いていってしまったものたちを惜しんでしまう愚痴っぽさが、老けたなと思う。
美術館で少しばかりくらくらしてしまうときの話
美術館に一歩足を踏み入れる。
著名な建築家が丹念に柱や壁や床やのすがたかたちを計算して組み上げて、
人間が人の手で作り上げた作品たちが、観られるための場を用意する静かな箱。
今日は19世紀末ウィーンのグラフィック・デザインの特別展をやっていた。
小さな四角い紙の上に、滑らかに引かれる線、あてがわれる色、眼を踊らせるモチーフとが巧みに配置され、完成された一枚一枚にいちいち私の心は魅了される。今日の土曜の休日も、素晴らしい作品たちの連続を愉しむことができ、幸福な気持ちに満たされた。
満たされた途端、幸福感を詰め込んでぱんぱんに膨らんだ精神の袋の皮に、ぴっとひとすじの緊張が張り詰める。
美術館の展示室で一人絵を観ていると、私はこれからもきっとひとりなのだ、という予感に襲われる。
素晴らしい絵画や彫刻や映画や小説といった作品に触れたことで、心が刺激されてときめきを覚えるとき、私は自分が生きていることに少し肯定的になれる。
生きていくということは難儀なことも多いし、自分自身の世渡りに対する要領の悪さや不器用さにはいつになっても辟易する。自分と、自分以外の他人との見えているビジョンの些細なすれ違いに傷つきたくなる日も多い。
でも、他人や世の中に擦り切れてしまいそうになっても、人間が作り上げた作品たちに対して私は心から喜ぶことができる。こんな幸福を味わえるのならば、生きていることも悪くないと思えてくる。
けれども、美術館の絵画の前で一枚の絵の放つ美しさやエネルギーにどんなに心を震わせたとのろで、この震えや感激を他人と共有することはできない。そこにある感動は、私だけのものだ。一枚の絵に対する感動について、他人に表明することはできるだろう。たとえばこうやって文章にするといった方法で。
でも、他人に感動した事態を表明することはできても、感動そのものは他人と共有はできない。私はこんなことを感じて、こんなにも嬉しくなったり切なくなったりしたのだ、ということをいくら伝えたところで、同じように他人が感じることはない。そもそも、共感など求めていない。私が、誰の存在も関係なく、ただ展示室の出口を満足してくぐって帰る事ができるならそれでいい。
ひとりだな、と思う。誰にも与えられず、誰とも共有し得ない喜びを、自分一人のためだけに一人で火をつけて一人で温めるだけ。
美しいものに感動する気持ちは、孤独の証拠だ。
そしてこの孤独に私はこれからもきっと縋るのだろう。少しばかり生きづらい人間や日々のことを、明るく捉え直すために。そしてこの孤独に私は不安を覚えるのだろう。一人ではなく、誰か他人と一緒に一緒に味わうことのできる幸せから遠いところにいる自分は、だからこそ他者ではなく他者の作った作品に対してだけ素直で居られるのだ。
くらくらしてくる。
なにせこの幸福な孤独は、儚い。だって、感動というのは発生した一瞬。花火みたいにぱっと火を放って大きく咲く。けれど咲いて自分の内側に放たれた後は、花火の火薬の匂いみたいにじんわりと辺りに残り、やがて祭りが終わり家に帰り着く頃にはすっかり鎮まってしまうものだから。
自分の内面にしか発生しない火花は、己と他者とのすれ違いによって欠けてしまう頼りない自分に喜びを教え、慰めてはくれる。けれど、ひとりでしか味わえない幸福にばかり傾いてばかりの私自身が、果たしてこれでいいのかどうかについては知る由も無い。
そうやって、幸福な孤独に笑ったり泣いたり、強い気持ちになったり寂しさを覚えたりするからこそ、作者たちが、かれらの意思や感情や生命力を注いで作り上げた作品というものが美しくて仕方ないのかもしれない。